紋章学入門

サッカーのチームにはエンブレムが存在します。エンブレムは、チームにとって、魂であり、アイデンティティのひとつであり、誇りといっても言い過ぎではありません。紋章の起源はさまざまな説があるが、12世紀のヨーロッパにさかのぼるといわれています。

封建社会のヨーロッパでは、騎士は鉄兜を(首まですっぽり包むもの)頻繁に装備するようになった。そのため、視野が狭くなり、戦場では敵味方の区別をする必要があった。そこで、識別用記号を作ることによって、敵味方を分けた。これが紋章の始まりである。紋章は盾につけられることが多かったです。現在のエンブレムに、盾の形が多いのはそのためです。

色や形をつけられた図柄が本当の『紋章』になる条件は、同じ人がひとつの図柄を持ち続け、その図柄の書き方が一定の規則に従うようになったときです。もし同一人物が、気分しだいで紋章をころころ変えてしまったら、識別するのが困難になり、紋章の意味がなくなります。また企業のロゴみたいに、デザインが何でもありの状態になると、紋章かどうかがわかりにくくなります。そのため紋章には、一定の規則が必要です。『同一人物がひとつの図柄を使い続ける』『一定の規則を設ける』これらは、12世紀前半にほぼ確立しました。紋章官と呼ばれる人が、紋章の規則を体系化しました。

他にも以下のような説があるが、現在では有力ではなく、紋章学者の間では却下されています。

  1. 十字軍が軍の目印として用いられた説。
  2. ゲルマン民族の象徴、ルーン文字が紋章の形成に強い影響を与えた説。
  3. 古代ギリシャの軍事用や家計のしるしとして用いられ、それが直接由来する説。

13世紀初頭、紋章は貴族の権威のシンボルとして用いられるようになります。この背景として、騎士の存在が弱くなったことが挙げられます。特に権力を握った権力者において、紋章は世襲制による権力の継承や、身分制度の明確化という点で、支配上極めて重要なシンボルとなった。なお紋章の大きなポイントは、視覚によって、権力をアピールできる点にある。この時代では、文字を読み書きできるのは極めて裕福な人に限定されていた。多くの人は文字は読めなかった。そのため視覚によるアピールは、文字によるアピールより、有効な手段であった。

紋章は原則的に長男が受け継ぐものであった。次男は、オリジナルの紋章を作成した。そのため、次第に紋章が複雑になります。最初のうちはシンプルな図形が中心であったが、そのうち複雑な模様になっていきます。そのため紋章を管理する為の組織である『紋章院』が生まれます。紋章院は、紋章を管理する、紋章の色のルール、継承する際のルールなど、紋章に関するルールを統括していました。

また紋章は権力者だけでなく、大学や修道院、ギルドなどさまざまな組織でも用いられるようになりました。また権力者の女性は、男性よりもかなり早くから、紋章を使っていました。(1180年かそれ以前から)市民団体や宗教団体は、13世紀終盤〜14世紀初頭と比較的遅かったです。また地域によって、農民も紋章を使うことがありました。

紋章の使用が戦士以外に普及したのは、印璽(いんじ)の存在が非常に大きかったです。中世西欧では、紋章はおよそ100万種知られているが、その75%が印璽によって知られ、三分の一強は貴族以外の紋章です。印璽の役割が大きいことと、紋章は貴族だけのものではないことが良くわかります。

18世紀まで、紋章は爆発的に普及しました。とくにイタリア、オーストリア、ドイツでは、バロック芸術によって紋章の流行が強まりました。しかし18世紀以後は、とくにフランスやイングランドでは紋章は衰退に向かうようになります。その背景としてヒエラルキーの崩壊が挙げられます。

紋章の色

紋章の色は、金属色,原色,毛皮模様などに分類されます。金属色は、金と銀があって、金は黄色で銀は白色で代用されることもあります。原色は、赤、青、黒、緑と決められ、色の序列もその順番です。16世紀くらいから、紫も加わるが、この色は宗教関連の紋章においてしか認められませんでした。また中間色などのあいまいな色は、用いられることはなく、明快な原色のみが使われていました。なおイギリスではオレンジが、スペインでは灰色が紋章の色として使われることがあったが、これらは地域的な例外に過ぎません。また肌色は、人間の身体を描くときのみその使用が認められました。なぜあいまいな色が使われなかったかというと、紋章はそもそも識別をするために用いられたからです。識別をするにははっきりした原色のほうが適しています。

ちなみにこれらの紋章の色は、『社会的な色』『観念的な色』で色でした。たとえば赤ひとつをとっても、朱色,紅,ガーネット,ストロベリーなどさまざまな色があります。しかしそんなことは紋章学の世界ではどうでもいいのです。重要なのは、赤の観念であり、その色がどのような色調や物理的値を持っているかは、全く関係ないのです。赤は、ストロベリーでも朱色でもガーネットでも、何でもいいのです。このような細かい色の分類は、紋章の世界では全く重要性も意味も持たないです。(カラーコーディネートとは全くの逆である。カラーコーディネートにおいて、色を観念的にしか見れないと、非常にやばい。)もちろん青、黒、緑でも同様です。金と銀も、光沢のある色ではなく、大抵は黄色や白で表現されました。

色の組み合わせの規則

紋章の色は、金属色として金、銀、原色として赤、黒、青、緑の二つのグループに分かれます。配色の大原則は『同じグループの色を,並べたり重ねたりしてはならない。』です。たとえばライオンの図柄の盾があるとします。この紋章は『盾の地』と『ライオン』の二色配色であるとします。もし盾の地が赤であれば、ライオンの色は金と銀は可能であるが、青と黒と緑は不可能です。なぜなら青と黒と緑は、赤と同じグループに属するからです。この原則は紋章出現当初から存在し、ほぼいつでもどこでも守られていました。ちなみに、紋章だけでなく、国旗やのぼり、軍旗、船舶用の旗のデザインでもこの規則がかなり守られています。

ところで当時は、色刷りの技術が未発達であったため、印刷の際に紋章の色を白黒だけで表示する必要がありました。点や線によって、紋章の色を記号化して表記するようになりました。

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO