流行色史

■ 戦後

第二次世界大戦が終わり、その跡徐々に経済復興への道を歩み始めました。戦後間もないころは、軍服の代表色であるカーキ色や紺色のような、地味な色ばかりで、戦時の国民服姿が多く見られました。

その後、GHQとして進駐した米軍の影響で、日本人はアメリカンルックをお手本にしました。

1945:カーキ色
1947〜1949:アメリカンルック全盛期。原色が流行。
1949〜1952:パステルカラーの流行

■ 1950年代

1955年以降に入ると、経済復興は更に本格化し、1960年代の高度経済成長の橋渡しとなります。1958年には、それを 象徴する言葉として、当時の庶民の憧れの対象となった、冷蔵庫,白黒テレビ,洗濯機が「三種の神器」と呼ばれていました。

アメリカンルックに続いて、日本のファッションのお手本になったのは、クリスチャン・ディオールの作品と「スクリーンモード」でありました。特に流行色に関しては、「スクリーン・モード」の影響が大きかったです。

50年代の流行色の例として、映画「赤と黒」の赤と黒、「赤い靴」の赤、「黒い稲妻」の黒が流行しました。またアメリカ映画「初恋物語」で主役女優が着たドレスの色「モーニングスターブルー」が、アパレルメーカーのレナウンからキャンペーン展開されて大流行しました。

1953年、日本流行色協会(JAFCA)が設立されました。当時の日本は戦後の経済復興から、町中に粗悪な色が氾濫しており、そういった色を改善する目的でJAFCAは設立されました。また、欧米を中心とする外国の流行色を観察することによって、それを国内の繊維関連の輸出製品の色に反映させ、輸出振興につなげようとする目的もありました。

1959年、皇太子御成婚に国民の関心が集まりました。JAFCAは、国民の喜びの気持ちを表現した「慶祝カラー」を 59年に発表しました。「慶応カラー」の影響は非常に大きく、ファッションや印刷物、ショーウィンドーにも取り入れられ、当時の生活者に色彩への関心を高める引き金になりました。

■ 1960年代

1960年代は、ベトナム戦争の開戦やビートルズの世界的人気、日本では64年の東京オリンピック(五輪景気)、 高度経済成長、学園紛争など、大戦後世代の若者達をまきこんだ新しい動向が目立ち始めました。

高度経済成長の加速化は、国民を「つかいすて志向」に走らせました。もちろんこのようなことになると、 生産者側(売り手側)は、様々なカラーキャンペーンを盛んに打ち、消費者にガンガンものを消費させました。それに伴って、商品の色彩バリエーションも多様化し、色を鮮やかとか淡いとかトーンで捉える傾向や、配色を意識する傾向が見え始めました。つまり消費者も色に対する関心が高まっていたのです。

化学技術の発達で、鮮やかな色彩の再現が可能になったのもこの時代です。

1.シャーベットトーン

カラーキャンペーンは、アパレル業界,化粧品業界,デパートなどを中心に行われました。特にデパートは、消費者に商品を訴えやすいように、キャンペーンテーマとして色を設定し、次々にカラーキャンペーンが展開されました。

1960年:アメリカンイエロー,メディタレニアンブルー(三越)
1961年:イタリアンブルー(伊勢丹)
1962年:シャーベットトーン(高島屋、西武など)
1964年:カブキカラー(伊勢丹)

このなかで、大ヒットしたのが「シャーベットトーン」です。「この世代の方なら、知らない人はほとんどいないのでは。」と言い切れるくらいです。シャーベットのように、冷たくて甘いイメージをする、パステルカラーです。

2. インターンカラーの設立

1963年に、日本,フランス,スイスの代表が呼びかけ、世界で唯一の流行色予測機関として、インターカラーを発足しました。

3. ピーコック革命とサイケデリックカラー

1967年、メンズウェアのカラフル化が話題になり、ピーコック革命と呼ばれました。この革命により、それまでは白いビジネスシャツ一辺倒でしたが、パステル系のカラーシャツが仕事場に進出するようになりました。

1969年学園紛争が激化し、ヒッピー文化が台頭しました。蛍光色を使ったサイケデリック・カラーが流行し、ファッションも取り入れられました。それと連動して、Tシャツの上着化現象やジーンズの定着などのドレス・ダウン化も進みました。

「昔のファッションはまともである」と思い込むことは危険です。(中年男性がよく言う言葉であろう)そんな奴の言葉は軽く聞き流せばいいです。真に受けるべきではありません。昔のファッション=地味=まじめ、という等式は間違いであることは、歴史を見ればはっきりとわかります。歴史やデータを注意深く見ると、世間では正しいと思っていることが、単なるイデオロギー(思い込み)や印象論であることがしばしばあります。たとえば「最近の子供は、人をよく殺す」と、ニュースやワイドショーなどで、頻繁に報じられます。しかし少年による殺人事件の件数は、昔(1960年代)の方が、1990年代以降よりはるかに多いのです。これは窃盗や強姦なども該当します。現在の少年の殺人が凶悪に見えるのは、マスコミによるイメージ操作が、主な要因であると考えます。

■ 1970年代

1970年代は、石油ショック以降の世界経済の低迷で、不況が継続した時代でした。水俣病や大気汚染などの公害問題が、深刻な社会問題として目だった時期でもありました。

ファッションでは自然志向が強まり、エスニック・フォークロアファッションが台頭しました。また異素材のアイテムを組み合わせた新しいコーディネート方法「クロス・オーバー」が登場しました。

色彩の世界でも自然志向の高まりを背景にナチュラルカラー/アースカラーの人気が上昇しました。また、サバイバルファッションの登場でカーキ色も注目を集めました。また、都市化による季節感の消滅などで、季節を無視した「サマー・ダーク・カラー」が登場し、Tシャツなどを中心に大流行しました。

■ 1980年代

1980年代、消費者の意識は個性化志向が高まり、「ブランド・ブーム」が起こります。自分の個性をブランドに託すのです。(ただこれも没個性的だと俺は思うんだけど。本当の個性化が現れたのは1990年以降であろう。)個性化志向は、大きなキーワードです。詳しくは「化粧史」に掲載しました。個性化志向を背景に、インポートブランドやD.Cブランドが流行しました。(例:コムデギャルソン)後半になると、地球環境問題に視野を向けたフェイク・ファーや人工皮革など新素材が注目を集める一方、カジュアルなスタイルも人気を呼び、ファッションの多様化/個性化が進展しました。

カラーは、川久保玲や山本耀司が発表したモノトーンが世界的なブームを呼び、80年代を席巻しました。「カラス族」と呼ばれる流行です。80年代前半〜中盤にパステル系の色が流行しました。後半になると、エコロジー志向に基づくベージュ/ブラウンなどのエコロジーカラーが指示されました。(イメージ的にはアースカラーと同じ。)

■ 1990年代

1990年代は、ドイツ統一・ソ連崩壊・EC統合など世界的に「再構築」の時代を迎えます。日本でもバブル崩壊による不況の慢性化や社会的事件の続発などで不安感が蔓延した時代でした。

エコロジーをコンセプトに、廃棄物を再利用した様々な新素材が発表されました。60.70年代の再評価に基づくフレンチカジュアルなどの懐古的なスタイルが復活する一方で、近未来を意識したサイバーパンクやユニセックススタイルなども登場しました。

80年代後半からのエコロジーカラーやダークカラーは継続しています。また1990年にはネイビーが流行しました。 ネイビーやブラウンのような色は、もはや一時的な「流行色(fashion)」ではなく、「定着色(style)」になったと言っても、決して言い過ぎではありません。他に好景気を祈って、高彩度なアシッドカラーが1996年に打ち出されました。アシッドカラーのような色は、1950年代に「ビタミンカラー」として流行したこともあります。(「リバイバル」が多いのも、1 990年代以降の特徴だと思う。この傾向は音楽でもある。古い歌がカバーで歌われたり。)

1990年代以降は、一昔前のような極端な流行がほとんど見られません。どの色が主役なのか焦点が絞りにくいです。 これは個性化志向が強まったせいでしょう。流行に流されるより、自分を見つめようという考えが顕著になったのです。その表れが1980年代にあったといえます。

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